先日、Twitterでこんな質問をしました。
RISA鍼灸院の性機能コースを受ける理由の一つとして、「性欲低下」というものを掲げているのですが、
この性欲低下という状態がそもそもお悩みになりえるのか?そしてそこに男女差はあるのか?
ということが知りたかったので、聞いてみた次第です。
結果、わたしの質問の仕方がぼんやりしててよくなかったな、という反省はあるのですが、
「自分に性欲がないことで悩んだことがある」
と回答したのは、男性よりも、若干女性が多いということがわかりました。
この背景を考えてみたのですが、もしかしたら

「相手に性欲があるのに自分に性欲がないことで、うまく応えられなくてつらい」
みたいなことがあるのかもしれません。
ふたりのあいだで性的な行為の頻度に満足していれば、そこまで性欲がなくたって悩みにはならないだろうし。
だからつまり、性欲低下で悩むときって、相手がいてこその場面であり、とても社会的な意味がある気がします。
こう考えると、性と言うのは本当に揺らぎで、人間の悩みを増やすものだなあと感じます。
自分だけで完結する問題じゃないからこそ、なかなか安定することが難しくて、相手によって良くも悪くも影響を受けてしまう。
性について考えていくと、どうしても闇の部分にも触れざるをえません。
性というものが持つ力は、いいふうに作用すれば人の生きる活力になるし、毎日に彩りを与えてくれたり、たのしい!うれしい!しあわせ~!!を引き出してくれるすばらしいもの。
だけど悪いふうに作用すれば、自己否定につながったり、だれかと比べて落ち込んだり、だれかのことを憎んだり、あんまり目を向けたくないような疲れる感情……そういったものが出てきてしまいます。死にたい、って思うのも、性のお悩みを抱えている人はよく陥りやすい気がする。
以前も書きましたが、東洋医学には陰陽という概念があって、これは、いいこともわるいこともまじりあって「ひとつ」を構成しているんだよという考え方なんですね。


性の中にも陰陽があるので、よい影響だけ享受することはできなくて当然。だれかのことを考えて生きることが性であるならば、そこに揺らぎや苦しさが生まれることもまた当然なんですよね。
しんどいことはやだ!疲れることはしたくない!それはきっとみんなそうだと思うんです。
でも、
生きるのって、つらーーーー!
しんどーーー!!!
ってなりながらも、その中で愉しみを見つけていくことが、もしかしたら人生の醍醐味なのかもしれない。
あなたがいて、わたしがいる。
これも陰陽です。
今朝見たツイートに、ほんとにそうだな~って思うのがあったのですが、
たとえば「ありがとう」の気持ちだって、一方通行だけだと徐々に苦しくなるんだよ、っていうお話。
人間が、「自分って生きててよかったなあ」って思う時ってどんなときがあるだろう、って考えてみたら、やっぱり「だれかの役にたてている実感があったとき」なのかなって思うんです。
自分が相手にもらうばっかりじゃなくて、
自分だってその人のために何かができている
そういう相互作用があると、これまた陰陽のエネルギー交換がおこなわれるはずなんですね。



相手にとって自分って、必要ないんじゃない……?
って感じることほど哀しいことはありません。自分の存在が否定されたような、自分の価値がなくなってしまったような、そんな感覚。
相手の心のどこかに、自分の居場所が確かにあるんだな、と思えると、やっぱりその相手との関係性は良くなる気がします。
だれだって自分のこと、価値ある人間だって思いたいし、そう思わせてくれる存在のことは大好きなので。
どれだけ自分で自分のことを褒めようとも、認めようとしようとも、やっぱりわたしたちは社会的な生き物で、だれかとコミュニケーションをとることでさらに喜びを増していくものですから。
そう考えると、ほんと、自分と陰陽のエネルギー交換をしてくれる人に対して感謝しか生まれませんね。
わたしに喜びを与えてくれてありがとう、
だけじゃなくて、
わたしが苦しみを感じられるのも、あなたがいてくれるおかげだなって思います。(ドMとかではない)
何かをしてくれたから感謝するんじゃなくて、もうその存在だけで、ありがとうの気持ち。
これからもわたしは、人の性の部分に目を向けると思うし、そうするとやっぱり嬉しいことだけじゃなくてつらいことも経験するとは思うのだけど、
軽率に死にたくなってもいいと思うし、
弱音は吐きまくったらいいと思うし、
自分のこと嫌いになることがあってもいいと思う。
そんで、底でしばらく沈んだら、また上がってこれるかもしれないし、そのときに戻ってこれた自分のこと、かわいいなって、すきやなって思えたらいいなと思う。
きょうも感謝して生きよ🤤


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